先駆ける、天翔ける
まだ寒さがのこる厳しい季節、春の芽吹きを待つどの花よりも先だって咲く梅花。1月から3月にかけて、日本各地で白、紅、薄紅の花を咲かせます。その様子から、特にすぐれた人物は多くの人が世に出る先駆となることを示して、梅は百花の魁(さきがけ)という諺もあるほどです。
先駆けるばかりじゃなく、京の都から太宰府まで、飛んで主人を追いかけた梅のおはなし、飛梅(とびうめ)伝説も日本人の原風景として、心に響くものがあります。
庭の木たちをこよなく愛したという菅原道真公が、大宰府に左遷されるとき、庭の梅木に別れを惜しんで歌をうたいます。
道真を慕う庭木たちのなかで、桜は主人が遠い所へ去ってしまうことを知って、悲しみのあまり葉を落とし枯れてしまいます。
梅と松は、道真の後を追って空を飛び、梅は一夜にして大宰府の地に降り立ったといいます。
松には分岐する話があり、ひとつは途中で力尽きて、のちに「飛松岡」と呼ばれる丘に降り根を下ろしたというもの(飛松伝説、神戸の須磨あたりの地)。
もうひとつは、梅が太宰府に飛んで行ったのち、いそいで後を追って、松も無事に道真公のもとにたどり着いたという追い松(老松)伝説です。
樹齢1000年を超えるとされる白梅の木は、実際、飛梅(とびうめ)という名称で太宰府天満宮の神木となっています。
スタンダードな縁起物としてマッチングの良さを表す梅に鶯、松に鶴。
梅さんも松さんも鳥族に強力な助太刀がいるようですから、飛梅木霊はウグイスに、飛松木霊は鶴にのって、いまも自在に天空を駆けめぐり、道真公を慕う樹々を元気づけているのかもしれません。
ー梅に鶯、松に鶴ー
うぐいす長者と鶴の恩返し
「決して見てはいけません」
この名セリフが定番の、見るなのタブー物語は、ヘブライ神話、日本神話、ギリシャ神話などにのこされている有名な神話元型です。
・崩壊する町から逃れるとき、後ろを振りかえり見てしまったロトの妻
・パンドラの箱を開けて中を見てしまったエピメテウス
・冥界の妻を迎えに行き、後ろを振りかえり見てしまったオルフェウス
・おなじく冥界の妻イザナミをとりもどしに行き、後ろを振りかえり見てしまったイザナギ
・美の女神アフロディーテの息子エロースを見てしまったプシュケー
・夫である大物主の蛇の姿を見てしまった倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)
数多く残されている神話元型は、日本民話に形を変え、鶴の恩返しやうぐいす長者という物語になり後世に伝えられます。
「見てはいけません」と告げるのは、この世ならざる者の言。
見てしまったら異界の影響力がこちらの次元に流れ込み人間生活が脅かされてしまいます。
人の形、生活の基盤、地上ルールを崩す可能性のあるものが近づくと、まずは恐怖心が沸き起こり、即座に無意識に自己をまもる対処ができるよう命は設定されています。
「ありえない」「くだらない」と一蹴して蓋をするか、恐怖の悲鳴や雄叫びを上げて場の空気を一変させ、人間(肉体)という枠を超えないよう防衛するのです。
闘争逃走本能が刺激され、アドレナリン等の放出がおさまり平常心に戻ると、恐怖を感じさせるものに対しての反発、怒り、侮蔑、嘲笑、あらゆる解説機能を駆使して排除を試みます。なんとかして、なかったことにしなければ、これまで信じてきた人生の基盤が崩れてしまいます。あるいは、そんな不思議なことも時折はあるものだけれど、自分の人生には関係ないと切り離すこともできます。
ただし安心(?)なことに、奇跡など一ミリも受け入れる余地のない人生を送りたい人に「見てはいけない」ものはありません。というより見ること、いいえ感受することさえしない(できない)ようにしっかりセットしているので命は安心です。安心を確実にするほど、人生は見知っていることだけで、こじんまりと巡回していくので、命は生き生きした活力を失っていくことにはなりますが。
見てはいけないと念押しされるのは、見てしまうことがある者たちへの究極の最終通告。
見たら最後、地上世界の住人として安寧な暮らしは望めなくなるからです。
大魔女ババヤーガは、見てはいけないとは言わずに、それを見ると早く年を取るんだよ(そして早く死んでしまうかもしれないよ)と、直截なもの言いで知りたがりの少女をピシャリと一喝します。
小野不由美さんの十二国記に登場する聖獣・麒麟はその背に自らが認めた王以外、騎乗させることはありません。
うぐいすは梅の木霊、鶴は松の木霊御用達の聖獣とするならば、その姿を「見てはいけません」と念押しする物語が残されたことも頷けます。
見てしまったが最後、聖獣の背に騎乗して天翔けめぐり、毎夜夢のなかで体験することがあまりにもすばらしくて、地上世界に戻りたくなくなってしまうかもしれないのですから。
塩梅のいい食品として
おばあちゃんの知恵袋として民間療法に欠かせない梅干しは、殺菌・防腐力があり、消化を促進し、血行を改善するといわれています。消化促進は唾液がたくさん出ることからもイメージしやすいと思います。
梅を望んで渇きを止むー梅にまつわる諺はとても多いです。
梅は有機酸を豊富にふくむ健康食品、三毒を断つともいわれています。
今から30年ほど昔の話、マクロビオティック料理教室でアシスタントをしていたことがあり、毎朝ご飯に梅しょう番茶を愛飲していました。頭がしゃきんとしてお腹が動きだすので、コーヒー代わりにちょうどよい塩梅でした。
いまは冬の寒さが厳しくなる時期に、ときおり梅しょう番茶をつくって飲んでいます。
梅干しひとつ、しょうゆ小さじ1、2杯、しょうがのすりおろし少々をよく混ぜて、番茶を注いだものです。マクロビ的には陽気を強めることで、冷えや陰性の気をとり去るという理屈です。
梅しょう番茶は陽気が強いせいか夏のあいだは飲みたいと思えず(個人差あると思います)、もっぱら冬が来ると思い出す味で、干し柿・たちぽん・梅しょう番茶は毎年暮からお正月の楽しみのひとつになっています。
*当ブログで紹介している植物の一般的な性質は化粧品の効能を示したものではありません。
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