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【星と神話のものがたり】水瓶座18〜20度☆救世主を引退したヒコーキ乗り

  • 2月6日
  • 読了時間: 15分

サビアンシンボル水瓶座


立春の日をさかいに、16度で社会参入をはたした水瓶座のものがたり。

いよいよ「合意的現実社会」のなかに切りこんでいきました。


昨日までは膝を折り、周囲との協働を試みたわけですが、18度では、水瓶座の真価が再浮上して発揮されます。


それは、早すぎる知性(社会を洪水のように混乱させる情報・実はサダルスウドの恵み)が劇薬となり、メタファーとしての「災害」を引き起こす火種になりやすいということでもあります。


水瓶座18度を有名な物語(集合意識)で共有するには、「魔女狩り」や「ゴルゴダの悲劇」を引用するのがわかりやすいかな、と考えていました。


群衆が暴徒と化し、ひとりの人間(それは魔女だったり、救世主だったり、人間と言いきれないのかもしれませんが)を追い詰めていく狂気の沙汰は、その断片を聞きかじっただけで身の毛がよだつほどの恐怖に「やられて」しまいます。


(・・・魔女狩りもゴルゴダも、あからさますぎるかなぁ。劇薬をもうすこし薄めて、ホメオパシーのようにできないかなぁ)、と考えておりましたら、ひとつのシーンがおりてきました。


その物語は、救世主をリタイヤした飛行機のりのお話です。

毎日おおぜいの人々を奇跡で救い、群衆にむかって「寓話」を説法する日々に、うんざり飽き飽きしてしまった救世主は、ある日、神にこう尋ねます。


「これが私に与えられた仕事なのですか?私を解放してください。一万人の嘆きが一生ついてまわるなんてゾッとします。他の者と同じ生活に戻ってはいけませんか?」


神の答えは「それは私の意志じゃない、君の好きなようにしなさい、そこの世界でうまくやっていきなさい」でした。


救世主は群衆にむかって「神は私に為すべきことをせよと言われたんだ」と打ち明けると、群衆は「あたりまえです!神がお望みなら、地獄の責め苦もよろこんで受けるべきです」と

大音量で答えます。


「その責め苦は、、どんなものであってもかい?」


「首を吊られようと、磔にされて火で焼かれようとも光栄だと思うべきです、それが神の御心ならば」


「それでは、もし神が、『これから先ずっと、この世界で幸福に生きることを命ずる』と仰られたら、君たちはどうしますか?」


群衆のざわめきがぴたりとやみ、周囲一帯が沈黙に閉ざされたとき「えーと、わたしは自分が好まない道は歩くまいと思うのです。私はそれをここで学びました。だから君達も、人に頼らず自分の好きなように生きなさい。そのためにも、私はどこかに行ってしまおうと決めました」そう言って、救世主が去るところから、この物語ははじまります。


このくだりは水瓶座18度を読みとくのにぴったりだな、と思うのですが、このシーンだけを取りあげると、なんとも無責任な救世主が勝手にいなくなりました、ということで終わってしまい、言葉足らずな回になってしまいます。


「救世主という仮面をはずして、ふつうの男の子に戻ります!宣言」から「あの人は今...、リタイア後の救世主」につづく19度、20度のものがたりをひとつの流れとしてご紹介することで、消化不良にならずに解釈できるかな、という試みとして、今日は3つのサビアンシンボルをまとめてご紹介します。

(ロングセラーとなった物語の力をお借りしつつ読みといていきたいと思います)


今日のシンボルは水瓶座18度、仮面がはがされた男。


明日のシンボルは水瓶座19度、消しとめられた山火事。


明後日のシンボルは水瓶座20度、大きな白い鳩、メッセージの担い手、です。


伴走のために力をお借りする「一冊の本」はリチャード・バックの『イリュージョン(Illusions)』。 「かもめのジョナサン」で知られる著者が描いた、もうひとつの「目覚め」の物語です。



『イリュージョン』あらすじ


複葉機(古い飛行機)でアメリカの空を飛びまわり、空き地に降りては、一人3ドルで乗客を乗せて歩く「空中遊覧」のパイロット、リチャード。


ある日、彼は自分と同じ仕事をしているドナルド・シモダという男に出会います。

シモダは、かつて数々の奇跡を起こし、何万人もの人々に救世主として崇められた「メサイア(救世主)」でした。


しかし、自分に依存し、勝手な期待を押しつけてくる人々に疲れ果てた彼は、救世主という役割を引退し、ただのパイロットとして「素顔」で生きることを選びました。


物語は、シモダがリチャードに「この世界はすべてが幻想(イリュージョン)であり、私たちは自由な存在なのだ」という真理を伝えていくプロセスを描きます。


水瓶座18度から20度の旅を、ドナルド・シモダが歩んだ道と重ねて、紐解いてゆきたいと思います。



水瓶座18度、仮面をぬいで「いかさま師」を宣言する


シンボル:仮面を脱いだ男(A Man Masked Is Unmasked)


社会に適応するために(あるいは社会的に抹殺されないために)、わたしたちは「まっとうな大人」や「責任ある市民」という仮面をかぶります。

水瓶座16度~17度で築いた「理想の仕組み」でさえ、ときとして自分を縛る たましいの拘束具みたいになってしまうことがあります。


救世主という仮面を脱いで、リチャードといっしょに空のさんぽを楽しんでいた「元救世主」は、ある日ラジオ番組に出演し、率直な真理を語ることでリスナーたちを激昂させます。


シモダは「遊覧飛行」の仕事を、むかしの見世物商売みたいで胡散臭い、あんたたちのやってることは合法かと聞かれて、「俺たちは好きでやってるんだ、誰にも邪魔なんかさせないさ」と挑発的なセリフを吐いたことをきっかけに、「まっとうな大人」であるリスナーたちの反感を買います。


「あなた、さっき変なことを言いましたね。あたくし、ちょっと腹が立ちましたわ。誰でも好きなことをやっていたらどうなると思ってらっしゃるのかしら。生活のために働かなきゃならないし、遊びまわって、流れて歩くみたいな、そんな人ばかりだったらどうなります?もう少し責任をもって話していただきたいわ」


それに対してシモダは「生活のために働いている人は一番自分のやりたいことをやっているんだ。遊んで生活してる人と変わるところはないさ」と答えます。


「あなた、聖書をご存知かしら?汝、額に汗してパンを得、涙のうちにそれを食う」

「そうしたければすればいいんだ」

「ああ、もううんざりだわ、あなたみたいな人が戦争を起こし、あたしの息子を殺したんだわ。現にもう、世の中は破壊しかかってるわ。海がどうなってるか見てごらんなさい」


そんなやりとりから、ひっきりなしに怒号の電話は鳴り響き「生活のために働くべきだ」「責任をもて」と責めたてられ、ついには「てめえはいかさま野郎だ!」と罵られます。

それに対し、シモダはこう答えました。


「もちろん俺はいかさま師だ。この世界に生きてる人間はみんなそうだ。ほんとうの自分じゃないものになりすまして生きているのさ。いかさま師じゃない人がいたら紹介してくれ」


だれもが役割という衣装を着て、「地球」という舞台で役者をしている...というのは水瓶座成分極まれりの発想と思います。


自分を救世主だと思いこみ、自分を善良な市民だと思いこんでいる、その「思い込み(イリュージョン)」を認めないことこそが、本当の嘘(いかさま)なんじゃないか?って、シモダは言いたかったのだと思います。


18度は、自分がかぶっている仮面をみとめ、演じることをやめる度数です。

わたしたちが「素顔」をさらけだすとき、それは周りの「仮面をかぶって生きている人々」を不安にさせます。


水瓶座のサビアンシンボルでは前半、地球ローカルルールのなかに設定されている、狭義な役割に溺れないように生きるための訓練をつみかさねてきました。

ミステリー劇場では最高の演技を披露し、蝋人形のようにふるまい、人気というアルゴリズムの強力なスポイル魔法も跳ね返して、社会に参入しました。


ですが16度、17度で、水瓶座成分を社会に降ろしていくことに挑戦したものの、「まっとうな大人」という群集心理によって、仮面をはがされてしまいます。


その摩擦は、真の個性に目覚めた証ともいえますが、「そこの世界でうまくやっていきなさい」という神のことばに沿って、群集心理に「吊るし上げ」を食らわない着地点はどこかと探しあぐねている状態を示しています。


「素顔(18度)」で生きることは、摩擦を生みます。

その摩擦熱を放っておくと、周囲を焼き尽くす「山火事(19度)」になります。

水瓶座成分には「自分の真実を貫きながら、この世界を壊さずに着地する技術」を学ぶという通過儀礼があります。


それは「退屈な家具」になることではなく、「狂った放火魔」になることでもない、第三の道です。シモダが空を自由に飛ぶヒコーキ乗りであり続けたように。



水瓶座19度:炎上を鎮め、「家具」になることを拒む


シンボル:消し止められた山火事(A Forest Fire Quenched)


素顔で生きはじめると、周囲とのあいだに感情の「山火事(トラブルや反発)」が起こることがあります。今風にいうところの、「炎上」です。


シモダの言葉に憤慨した人々が「殺してやる」と電話をかけてくるように、水瓶座の早すぎる知性は、ときに激しい拒絶にあいます。


シモダはそれらの攻撃に対して、戦うことも、逃げることもしませんでした。

ただ淡々と、自分の真実のなかに立ちつづけます。


水瓶座19度の「鎮圧」は、もちろん相手を論破することではありません。

相手が燃え上がらせようとしている「ドラマ」の供給を、ふっと止めてしまうことです。


わたしたちの知っている「地球ものがたり」、その数ある台本のなかでも「魔女狩り」や「ゴルゴダの悲劇」は控えめにいってすごい人気シリーズ、殿堂入りロングセラーとなりました。


いってみれば、ゴルゴダも魔女狩りも、かつてのわたしたちが演じてきた「古い台本」です。「救世主の壮絶な死」は、その後の復活劇を盛り上げる布石でもありますが、ともかく狂熱の群衆は、だれかを殺すところまでいかないと、狂気を鎮めることができません。


山火事を鎮める19度のシンボルでは、水瓶座は燃え盛る火のなかに飛びこむのではなく、知性という消火器をもって、その舞台自体を終わらせる力を獲得します。



ところで、なぜ水瓶座の知性は、山火事の火種になるのでしょうか?


「元救世主」はラジオ番組のMCに挑発的な質問をされたとき「わざと乗っかって」山火事が大きくなるように煽っていたのかもしれません。


「山火事を消しとめる」ためには、先に山火事を起こさなくてはなりません。

それは「まっとうな大人」としての仮面に飲みこまれて、「退屈」に殺されかけている人々の、魂の情熱(炎)が消え入る直前に「けしかけられた」、救いの手なのかもしれないな、と考えています。


ラジオ番組に同席していたリチャードは、「なぜドン(シモダ)はそんな挑発的な答え方をしたのかわからない。法的にいっても不正な点はまったくないのだ。俺たちの飛行機はジェット旅客機と同じくらいの厳重な点検を受けている。免許証もあるし地主の許可も毎回とっている、そんな風に答えるべきだったのに...」と、いつもと違う友人の言動をフシギに感じています。


世間に合わせ「退屈な家具」と揶揄される生き方を選ぶ人々は、毎日があまりに退屈すぎて、魂が瀕死なことにも気づかず、風前の灯火だった生命感覚が「煽られることで」、ドラマチックな悲劇を求めてしまう、という心理もあるのだろうな、と。


シモダは自分を含めてみんなが「いかさま師」だと言い、リスナーの怒りにあえて火をつけました。

彼らが信じ込んでいる「退屈な正しさ」という檻を壊すための、劇薬のような荒治療だったのかもしれません。


ですが、火をつけたまま逃げるのは水瓶座の流儀ではありません。

19度では、その燃え盛る怒りや混乱を、一瞬で「凪(なぎ)」の状態へと戻すスキルが示されます。


それは、相手を説得することではなく「わたしはあなたのドラマの登場人物にはなりません」という静かな宣言です。


「ベルサイユのばら」のマリー・アントワネットが、暴徒のまえに静かに姿を現したとき、あまりの気高さに群衆の怒りがふっと消えたように。あるいはシモダが、罵詈雑言を浴びせてくるリスナーに対し、まるで鏡のようにその言葉を跳ね返したように。


「消火」というスキルを経て、水瓶座の知性は「社会の中にいながら、社会に飲み込まれない」という真の自立を完成させます。


水瓶座19度では、山火事鎮圧スキルを習得しますが、それ以前に水瓶座成分が、出し方ひとつまちがえると、あっという間に燃え広がる「山火事」をおこす威力がある、ということを改めて認識します。



「自由に生きるためには退屈と戦う必要がある。

退屈を殺して灰にしてしまうか、退屈に殺されて家具になるか。

激しく根気のいる戦いである」




水瓶座20度:十億の世界から、自由をえらぶ


シンボル:大きな白い鳩、メッセージの担い手(A Large White Dove Bearing A Message)


18度で「いかさま師」の自分を認め、19度で社会の期待という「炎」を消し止めたあとに訪れるのは、耳が痛くなるほどの静寂です。


圧倒的な静寂のなか、一羽の「大きな白い鳩」が舞い降ります。

シモダは物語のなかで、どんなトラブルが起きても、この世界が幻想(イリュージョン)であることを知っているがゆえに、動揺することはありませんでした。


鳩が運んでくるメッセージは、「君が望まない限り、なにものも君を縛ることはできない」という宇宙の基本法です。


「生活のために」自分のポジションを人に役立つ場所に固定して、家具のように生きることが「まっとうな大人」なのだと、相互監視しあう世界で、水瓶座20度は、鳩の翼をかりて多次元的な視点へと飛び立ちます。


「もしこの世界が壊れても、また新しい世界を創ればいい」


その圧倒的な軽やかさは、17度の番犬がまもりぬいた「未来の水(サダルスウド)」の正体です。


20度では「だれかのための救世主」であることを完全に卒業し、「自分という宇宙の創造主」としての自覚(鳩のメッセージ)を受けとります。


『イリュージョン』の中には、めくるとその時に必要な言葉が書いてあるフシギな本「メサイア・ハンドブック」が登場します。20度の鳩は、この本のような「必要な時に、必要な答えが勝手にやってくる状態」を示しています。


18度から19度の炎上体験は、地球市民の集合無意識に、巨大アンカーとして横たわっているようなものがたりですが、退屈と欲求不満の蓄積によって、狂熱をためこむような生き方に終止符を打つことができたとき、わたしたちのこころは「メサイア・ハンドブック」が開けるくらいに静まります。


白い鳩が運んでくるのは、あたらしい知識ではありません。

「救世主という役割」すら手放して、ただの自分に戻ったとき、もともと知っていたはずの「わたしは自由だ」という感覚を思い出すこと、そのものがメッセージです。


「あなたの魂が自由であること以上に優先される義務はない」


「あなたは、どの世界でも自由に選べる存在なのだ」




【地球フィールドワーク】水瓶座18〜20度


「いかさま」を笑おう(18度)

自分が演じている役割に気づいたら、「ああ、いま上手にかっこいい仮面をかぶってるな」と、シモダのように面白がってみます。12星座の心理のうちどれかひとつに嵌りすぎると、その仮面が皮膚に密着してしまい、はがされるときに痛みや苦痛を伴います。どの仮面も公平に、平均的に扱えるように、水瓶座成分を上手に使う練習になります。


自分の火を、自分でおさめる(19度)

だれかに批判されて、こころがざわつくときは、一歩ひいて、自分のなかにある「しずかな真実」を見つめるだけで、火は消えていきます。ネジを見る、電柱を見る、郵便ポストを見る、空を見るときの気分を覚えておいて、否定も肯定もない、ただそこに存在しているものを「見る」きもちです。火種になりそうなエネルギーは、感情を伴わない視線で見られると、エネルギーの供給を断たれて自然鎮火します。その存在を許し、否定もせず、肯定もしないという気分のスイッチ切り替えを、ふだんから練習してみましょう。


「次の世界」を想像する(20度)

もし今の世界が壊れても、あなたは何度でも新しい世界を創造できる、と聞いて、どんな印象をもちますか?寝る前に、もしなにも制限がなかったら、自分はどんな惑星で、どんなふうに生きたいかを自由に空想してみましょう。それは、この世界に対する愛情を放棄することとはちがいます。世界はたくさんあるという可能性を閉じなくても、この世界にこころをひらいて愛情を注ぎつづけることは同時にできます。逆に、たくさんの選択肢のなかから、この惑星を選んで、この人生を生きていると認識したほうが、「いまこの瞬間を生きている」ことを楽しみ、豊かなエネルギーを循環させるようになります。



ほんとうは、いつでも自由


『イリュージョン』の結末がどうだったかは、伏せておきますが、シモダはやはり、奇跡を起こす魔法使いだったので、白い鳩になったんだな、というのがわたしの感想でした。


18度で自分に嘘をつくのをやめ、19度で外側のノイズを鎮めたとき、こころのなかに「メサイア・ハンドブック」がすでにあったことに気づき、水瓶座成分は、より成熟していきます


「今の生活に、もし退屈しているなら、それはあなたが自由であることを忘れているだけだ」


サダルスウドという幸運の星が予報する「未来の水」を受けとるためには、まず、古い世界の器(仮面)を脱ぎ捨てなければなりません。


白い鳩は、あなたの肩に止まる機会を、自由の宙をゆったりと旋回しながら、ずっと待っています。


☆☆☆


サビアンシンボルとは?

地球には360パターンの、宇宙と地球をむすぶ物語があります。

それは占星術で使われる「星のメッセージ」、サビアンシンボルと呼ばれています。


地球を中心に大きな円を描くと、広大な宇宙にむかって360°の方向がセットされます。


360度の円を12区分したその先にはゾディアックサイン(12星座)があり、1区画(1星座)のなかには30度の方向があるので、地球からみて宇宙を360個に分けた「区画」がある、ということになります。1区画(1度)ひとつひとつに、ちょっと不思議な「物語」があって、それは短い詩文で表現されています。

1日1度、太陽が進行することで(じっさいは地球が動いているんだけど)、太陽の背景にはゾディアック(獣帯)と呼ばれる12星座の方向が示されます。地球と太陽の向こう側にひろがる「方向性」をつなぐことで、360の物語が始動する、というのがサビアンシンボルなんだな、と感じています。

象徴とか物語とか詩文というのは、その方向性にどんなエネルギーがあるのかを、いろいろな方法で表現してきた、この地球の歴史的なつみかさねなのだろうと考えています。


サビアンシンボルについてもっと知りたい!


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